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コラム
 <2003年46号(秋号)>
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生家の記憶(冬) 前会長 多田 紘司

[徒然草抜粋]
「家の造りようは夏を旨とすべし。冬はいかなる所にも住まる。暑き頃わろき住居は堪え難き事なり。」

 四国地方は一般に温暖な地域と思われている。そのとおりであるが、それでも冬には雪も積もるし、水溜りの氷は踏んでも割れないことも多い。子供の頃には、雪だるまは勿論、軽自動車くらいのかまくらで遊んだこともあった。だから「冬はいかなる所にも住まる」と言われても釈然としない寒さの記憶が今だに鮮明である。

 「わら葺屋根」だった私の生家には、必要な時には裸電球を灯すことができる暗い小屋裏と、床下には「イモブロ」と称した一坪ほどの広さで深さが約1.3mの石積みの穴ぐらがあった。小屋裏には、屋根メンテナンス用の小麦わらと、縄やムシロを織る為の稲わらが常時保管してあって、穴ぐらにはさつま芋が保管されていた。イモブロがどうやら風呂ではなくて「芋室」が訛ったものらしいことがわかったのは、ずっとずっと後年のことだ。

 これらの特殊な場所は冬でもいくらか暖い気がしたが、居室はそうではなかった。

 「わら葺屋根」農家はその特徴のひとつに深い軒庇がある。ここは、取り入れた作物の一時保管場所であり、雨の日のちょっとした作業場でもあった。だから当然の如く居室の陽当りは悪い。紙障子と板戸一枚の大きな開口部は、いくら閉め切ってもその隙間風は必要換気量をはるかに凌いでいたであろう。冬の夜は、老人や子供はひらすら厚着をして火鉢に手をかざす。テレビはまだない。・・・・何だか民話の世界のようだ・・・・

 14世紀の偉いお坊様が抱いていた無常観と私の思いを並べること自体がとんでもない不遜なこととは知りながらも「いかなる所にも住まる」と言われても素直に頷くことができない。

 そんな訳だから、私は白川郷や他の旧い民家を観光で訪ねてもあまり驚かないし楽しい気分にもなれない。何しろ、寒い記憶が甦るし、展示してある農器具もその殆んどが我家にもあったのだから。

 
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